57台目は「ち」

ミツビシ チャレンジャー

     (ちゃれんじゃー)

グレード・年式XR      1996年
エンジン型式直列4気筒OHCディーゼルターボ
排気量2835cc
出力・トルク125ps  30.0kg-m
全長×全幅×全高4530×1775×1730
車重1910kg
新車価格314万8000円

説明

2代目パジェロのラダーフレームを流用し、最廉価モデル「S」は5ナンバーサイズ、その他モデルは265サイズのワイドタイヤおよびオーバーフェンダー装着の3ナンバーサイズとなるほか、簡易キャンピング仕様の8ナンバーモデルもラインナップする。

エンジンは当初、6G72型 V型6気筒SOHC12バルブ 2,972 cc (185馬力) 、4D56型 直列4気筒SOHC 2,500 cc インタークーラー付きディーゼルターボ (105馬力)、4M40型 直列4気筒SOHC2,800 cc インタークーラー付きターボディーゼル (125馬力) の3種類だった。後に6G74型 V型6気筒DOHC24バルブ GDI 3,496 cc (245馬力) が追加され、4M40型はインジェクションが機械式から電子制御式に変更された。

サスペンションは2代目パジェロ同様、フロントがダブルウィッシュボーン・トーションバースプリング式独立懸架、リアは3リンク・コイルスプリング式車軸懸架を踏襲。四輪駆動システムも2代目パジェロと同じくスーパーセレクト4WDを搭載している。このシステムは、トランスファーにビスカスLSD付きセンターデフを追加し、4WD時にはセンターデフ式フルタイム4WDとほぼ同等の舗装路での走行性能を有している。センターデフにはデフロック機構を装備し、直結4WDと同等の悪路走破性も持つため、パートタイム4WDとフルタイム4WDの長所を兼ね備えたシステムである。また、走行中でも駆動方式が変更可能で、前後輪への駆動力の配分は50:50であり、必要に応じて、0:100に近い配分まで変化することが可能となる。一部グレードに、走行中の切り替えを可能にする電子クラッチを用いたパートタイム駆動車両のイージーセレクト4WDを採用している。

米国道路安全保険協会(IIHS)による自動車衝突安全テストでは、1997年から2000年まで「不可」の評価(上から「優」「良」「可」「不可」)であったが、2001年から2004年までは「優」の評価を受けている。

1996年7月発表、発売。エンジンは3 Lの24バルブV6エンジン (6G72型・185馬力)、2.8 L 4気筒ディーゼルターボエンジン (4M40型・125馬力)、2.5 L 4気筒ディーゼルターボエンジン (4D56型・105馬力) 駆動方式はスーパーセレクト4WD (一部グレードにはイージーセレクト4WD)。

2代目パジェロロングをベースにしてサードシートを取り去り、ハッチバック乗用車と同様の跳ね上げ式リアゲートを持ったボディを被せている。そのため当時は珍しい背面タイヤを装着していないSUVであった。背面タイヤ有り仕様は前期型のみリアフォグの隣に追加でウインカーが付く。(一部国では後期型と同じウィンカー無し仕様となる。)

日本国内での取扱い店はギャラン店とカープラザ店になる予定だったが、ギャラン店のパジェロとの競合を避けるため、カープラザ店専売となった。

販売当初のグレードは下から「S」、「Z」(2.5 Lターボディーゼル)、「Z」(2.8 Lターボディーゼル)、「Z」(3.0 Lガソリン)、「X」(ターボディーゼル/ガソリン)、「XR」(ターボディーゼル/ガソリン) の6グレード体制。

1997年1月4日 – 1月19日ダカール~アガデス~ダカールラリーに参戦。ドライバーは増岡浩、コ・ドライバーはアンディー・シュルツ。総合4位。篠塚建次郎/アンリ・マーニュ組が三菱・パジェロで日本人初の初優勝を勝ち取った。

1997年8月マイナーチェンジ。ガソリン車のエンジンを3.5 Lの6G74型GDIに変更し、60馬力の出力向上を実現。ATはGDI用はスポーツモード付き5速ATに変更。ディーゼルは4D56エンジンを廃止し、4M40エンジンに統一・電子制御化。

1998年1月1日 – 1月18日パリ~グラナダ~ダカールラリーに参戦。ドライバーは増岡浩。総合4位。ジャン・ピエール・フォントネ/ジル・ピカール組が三菱・パジェロエボリューションで総合優勝を飾っている。

1998年8月一部改良。GDIエコランプやUVカットガラスなど、装備の充実化を図る。シティクルージングの駆動方式を従来のスーパーセレクト4WDからセンターデフ付フルタイム4WDに変更。

1999年1月1日 – 1月17日グラナダ~ダカールラリーに参戦。ドライバーは増岡浩。総合6位。

1999年6月マイナーチェンジ。フロントグリル、ヘッドライト、バンパーのデザインを一新。ディーゼルターボを廃止しガソリンに一本化。車内は2トーンカラー化。ステアリングの形状も変更。グレードはXとXRの2つになり、全グレードの駆動方式をセンターデフ付フルタイム4WDに変更。

そして、XRにはフロントフォグランプ、木目調内装、フロントドアカーテシランプ、リアヒーター、ラゲッジネット、ルーフスポイラー、クロム仕様のドアハンドルとミラーという豪華装備が標準装備されている。

ボディーカラーは6種類に減らされている。

オフロードパッケージの追加。前期型とは違いウィンカーの無いリアフォグと背負い式スペアタイヤキャリアをセットで装着。

7月にフロントサイドエアダムの追加あり。マイナーチェンジがあったかは不明。

2000年11月12日テカテ・スコア・バハ2000に三菱自動車のチーム三菱ラリーアートから増岡浩と米国人選手3人が三菱・チャレンジャーSCORE仕様車で出場し、55時間36分23秒でゴールしクラス3i優勝を果たした。

またTeam GEOLANDAR RALLIARTからはドライバー塙郁夫、Mike Lund、高杉健吾が三菱・チャレンジャーで出場し、クラス3位となった。

2001年6月類似モデルのエアトレックの発売に伴い、日本国内向けの販売を終了。また2003年からは旧カープラザ店でもパジェロが取り扱い開始された。

2002年11月21日 – 11月23日第35回 TECATE SCORE BAJA 1000に、Team GEOLANDARから塙郁夫が三菱・チャレンジャーで出場し、25時間13分22秒でゴールしクラス3位で優勝した。

2003年アメリカでの販売はエンデバーの投入と同時に終了。中国ではダイムラー・クライスラーの中国法人「北京ベンツ」でもライセンス生産されていた。

2011年「パジェロスポーツ」という車名で輸出専用車としてパジェロ製造で生産されていたがこの年で生産を終了した。生産台数は61万4505台

思い出

ミツビシ稀代の名車「パジェロ」のパワートレインを利用して発売されたシティ派オフロード車。トヨタでいえばランクルプラドとハイラックスサーフのような関係性。

私はこのクルマはもっと評価されてもいいクルマであったと思っている。基本的構造はパジェロなのだからクルマの出来自体はいい方向性だったのではと感じている。ただ、マーケットが弱かった。このクラスは前に出たハイラックスサーフ、テラノがあり、牙城を崩すことができなかったのがこのクルマの評価が低かったところ。

途中でガソリンエンジンにGDIを積んだことからパワーもあるいいクルマに成熟していたのだが、ライバル車があり、なにより自分のメーカーに巨大なパジェロというラスボスがいたのだからなんとも台数は伸ばせない。

私だったら最終的にパジェロエボリューションのパワートレインをチャレンジャーに載せてもよかったのでは?とも考えたこともある。それこそ「史上最強のSUV」になれたかもしれない。

その後、よりシティ派に振ったエアトレックの登場でチャレンジャーの生涯は終えてしまったが、真面目にクルマ造りがされた1台であったと思う。出来のいい兄貴がいると弟は苦労するといったところなんだろうな…。

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