18台目は「き」

トヨタ キャバリエ

    (きゃばりえ)

グレード・年式2.4Z    1996年
エンジン型式直列4気筒DOHC
排気量2392c
出力・トルク150ps  22.1kg-m
全長×全幅×全高4600×1740×1355
車重1310kg
新車価格205万円

説明

1996年1月から販売が開始された。キャバリエは、当時日本とアメリカ合衆国の間で課題とされていた自動車の輸出過多による貿易摩擦の緩和を図るべく、すでに1995年に販売されていたシボレー・キャバリエをベースに、ステアリングやウインカーレバーの右側移設化といった仕様変更を施したバッジエンジニアリングモデルで、ゼネラルモーターズから輸入する形でOEM供給を受けていた。

仕様変更を施すにあたってはトヨタ自動車の技術協力がなされており、Dセグメントの輸入車としては異例の低価格戦略や当時同車のCMキャラクターを務めていた所ジョージプロデュースによる特別仕様車の設定などで一時話題となった。なお所は愛犬のインディと共演していた。

純正AM/FMカセットステレオはシボレー・キャバリエのものをそのまま採用したため、トヨタ車として見れば異例の時計表示機能付きステレオであり、オプションで蛍光管式デジタルクロックを選ぶことも出来ない。したがって、社外品のオーディオやナビを取り付ける場合、トヨタ車用のオーディオ変換コードは使えない。

年間販売目標台数の2万台に対し、1996年以降の累計販売台数は3万6228台にとどまるなど販売は思うように振るわず、2000年には当初予定していた5年間の販売計画を前倒しして、同年4月12日を以って日本への輸入そのものが終了した。販売期間中の新車登録台数の累計は3万7310台。

当時のトヨタ店セダンラインアップを考えると、Cセグメント/Dセグメントセダンはすでに飽和状態で、クーペともども元から居場所がなかったと言える。価格、ローカライズ、販売力、整備体制、広報とこれだけの環境を揃えても、「良くできた平凡」「優れた中庸」という控え目ながら優れた日本車に馴れた消費者には全く受け入れられなかったといえる。

なお、同車の日本国への輸入打ち切り後も、アメリカ合衆国では2005年まで販売が続けられていた。

KRAFTによって1998~1999年のJGTC(全日本GT選手権)のGT300クラスにも参戦。エンジンは自然吸気の2リッター直4である3S-GE(最大295馬力)で、駆動形式はFFのまま耐久でどこまで戦えるか、という挑戦であった。結果、1998年第5戦富士の4位が最高位となった。

思い出

「政治的意図」。このクルマを一言で表すならばこの言葉でしょう。1985年のプラザ合意以降円高が急速に進み、性能の良くて安い日本車がアメリカで売れるようになり「日米貿易摩擦」の最大課題として自動車が挙げられました。大学受験の選択教科に政治経済を選んでいた私には否応なしに覚えている出来事です。

その後トヨタがシボレーから調達した(押し付けられた?)のがキャバリエです。

速くもなく、燃費がいいわけでもなく、室内が広いわけでもなくいわば「特徴のない」クルマ。私も買いたいなとは思うことのないクルマでした。唯一の特徴と言えばただ安いこと。2.4リッターのクーペが205万円で買えたこと、そしてその後の中古市場でもたたき売りになっていたことでした。

当然、台数が出ないクルマにいじるパーツを作ってくれるようなメーカーもなく、カスタムされたクルマ自体も少ない名実ともに「特徴のない」クルマであったものです。

私の記憶で正しければ、中古価格は登録後3年程度の個体で50万円程度で売っていたような・・・。当時乗っている人を見ると「確実にディーラー社員なんだろうな」と想像したものです。

まあ、そのような不遇な運命を歩んだクルマだけあって、私の記憶には残っています。

乗りたいの?と言われれば、「いや、そこまでは・・・」ってクルマですが、時代が産んだクルマといったところでしょう。

乗っていた人の感想を聞くと、アメ車独特の接着剤の匂いが特徴的だったって話ですね。

やっぱり日本車にはなれなかったんだな。