ニッサン フェアレディZ
(ふぇあれでぃぜっと)
グレード・年式 | 300ZX 1983年 |
エンジン型式 | V型6気筒SOHCターボ |
排気量 | 2960cc |
出力・トルク | 230ps 34.0kg-m |
全長×全幅×全高 | 4535×1725×1310 |
車重 | 1365kg |
新車価格 | 327万円 |
説明
ロングノーズ・ショートデッキというZの伝統的なコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。5年ぶり2度目となるフルモデルチェンジ。キャッチコピーは『較べることの無意味さを教えてあげよう』、『ワルツ・ナイト』、『セラミック・レスポンス』、『SOUL SYNCHRO MACHINE』など。
開発当初からヨーロッパ製の名門スポーツカーを凌ぐ、ハイパフォーマンスの追求を目標に掲げていた。プラザ合意に基づく急激な円高によって、海外輸出車の価格上昇は避けられず、廉価な日常用スポーツカーからハイパフォーマンス・スポーツカーへの宗旨替えは、北米を主要な市場とする本車種にとって時宜を得たものであった。
前期型のエクステリアデザインは社内によるもので、高木一正を中心としたチームによってまとめられた。
当時の北米では直6エンジンは廉価な自動車のエンジンという印象が強かったため、ハイパフォーマンス・スポーツカーとしての認知を得るにはV6エンジンの採用は必須であり、先代の直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンに変更され、SOHCターボ2.0LのVG20ETと3.0LのVG30ET (輸出仕様にはNAのVG30Eがある)が搭載された。なお、国内版は全グレードがV6ターボエンジン搭載車となった。後に再度直列6気筒モデルが設定されるも、ターボ搭載は守られた。ライバル関係にあるトヨタ・スープラが廉価版に2.0L NAエンジンを採用したのとは、対照的であった。中でもVG30ETは当時としては大パワーで、スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れたボディと相まって、欧州向けモデルでは最高速度が250km/hに届いた。
ターボチャージャーは2.0 L/3.0 Lともにギャレットエアリサーチ製のT03型を使用。
販売当初のラインアップは、日本向けは2.0L「VG20ET」搭載のZ/ZS/ZG、3.0L「VG30ET」搭載の300ZX。
300ZXの5速MTはボルグワーナー製のT5型トランスミッションが搭載された。
サスペンションは全車に減衰力3段階切り替え式の3ウェイアジャスタブルショックアブソーバーを採用し、ソフト/ミディアム/ハードの3段階切り替えが可能だった。
外観では、通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造で、消灯時にもレンズの一部が露出するパラレルライズアップヘッドランプを採用した。ボディの一部を削ったかのようにしてのヘッドランプを装備という、従来のデザインを踏襲するためであるが、別体のパッシングランプを省略するためという実用上の意味合いもあった。ただ当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した。1986年に行なわれたエクステリアの大幅なマイナーチェンジの際は異形レンズの使用が認可されるようになり、日本仕様と同様の状態で輸出された。輸出の際の車名は永らくダットサン240~280Z/ZX(130後期まではダットサンプロダクテッド・バイ・日産のサブタイトルがあった)であったが、このモデルからは正式に「日産300ZX」となった。
週刊少年ジャンプにおいて連載されていた「よろしくメカドック」において「300ZX」が主役車両の1台として登場した。スバル・レオーネのメカニズムを移植して4WD化するというチューンが施され、「グレーサーZ(グレートレーサーZの略)」として活躍した。
V6エンジン専用モデルとして登場したZ31型だが、主に日本国内におけるマーケティング上の事情から2.0Lモデルに直列6気筒エンジンが搭載されることになり、初代S30型のZ432のS20エンジン以来久々となる直列6気筒DOHCエンジン「RB20DET」を搭載した「200ZR」系が追加設定された。これによって、Z31型の2.0Lモデルは同じボディにV型6気筒と直列6気筒という異なる特性のエンジンを搭載したグレードが同時にラインナップされるという、珍しいスポーツカーとなった。
エンジン自体は先にR31型系 スカイラインに搭載されていたものだが、ターボチャージャーを変更し世界初となるセラミックターボを採用。タービン内のインペラーを通常のメタル製より軽量なセラミック製にする事で慣性質量を低減し高レスポンス化とターボラグの軽減を目指したもので、日産は「セラミック・レスポンス」というキャッチコピーでアピールした。ターボにより圧縮高温化した給気を冷却するためのインタークーラーがエンジン上部に設置されたため、ボンネットには大型のエアスクープが設けられ、外観上の特徴となっている。また専用のスポーツシート、アルミホイール、サスペンション強化、LSDが奢られた。 ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」のそれぞれに2シーターと2by2が設定され、トランスミッションは200ZR-Iは5MT 「FS5W71C型」のみ、200ZR-IIは5MTと4ATが設定された。
この直列6気筒エンジンを搭載したZR系は、V6エンジン搭載車と比較するとフロントヘビーであったが、足回りが締め上げられた古典的スポーツカー風のハンドリングに仕上げられていたのに加えてパワーとレスポンスの向上が明らかであったため、スポーツ走行を志向するユーザーには好評であった。
日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナルが提案したエクステリアデザインを採用し、3.0Lモデルはキャビン部(リアゲート含む)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施され、北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー幅専用ボディとなった。ボディラインが丸みを帯びたことで印象がかなり変わっているが、意外なことに2.0Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。
2.0Lモデルでは、V型6気筒SOHCターボのVG20ETを搭載したグレードが廃止され、直列6気筒DOHCターボのRB20DETを搭載した「200ZR」系のみとなった。特徴だったボンネット中央の巨大なエアバルジは廃止され、小型のものが左側にオフセットして取り付けられた。
3.0Lモデルでは、V型6気筒SOHCターボのVG30ETを搭載した「300ZX」が前期型から継続されたが、国内仕様ではトランスミッションの設定がAT車のみとなった。
また、新グレードのフラッグシップモデルとして「300ZR」が追加された。エンジンには同年2月にレパードに初搭載されデビューした3.0L V型6気筒DOHCの「VG30DE」が搭載され、マニュアルトランスミッションには新開発された5速MT 「FS5R30A型」 が搭載された。「300ZR」には2シーターと2by2、5MTと4ATがそれぞれ設定されている。
この「300ZR」は、「200ZR」と同様に締め上げられた足回りと、Z31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。
なお、マイナーチェンジ後の各モデルにはフォグランプが標準装備となった。
思い出
S130とZ32の間にあって比較的地味な存在であったZ31型フェアレディZであるが、当時広報車ベースで230km/hを出したクルマとして印象深いものがあった。その頃230km/hを超えるクルマはソアラの3000GTとこのZ32の300ZXだけだったからである。
一般車ベースで200km/hを超えるのも難しい時代に一気にパワーを上げたエンジンが搭載され最高速の競争がされた時代でもある。合わせてチューニング界では300km/hを超える競争も盛んになり、トラストがチューニングしたソアラやセリカXXが300km/hをオーバーさせるなど日本車としても景気の良さが進むとともに最高速もうなぎ登りになった時代である。
私のZ31の思い出といえば「よろしくメカドック」である。レース用に制作された車輛は300ZXにスバルレオーネの4WDシステムをつなげて走らせるといったものだった。幼心に「レオーネの駆動系がチューニングしたVG30ETに耐えられるのか?」と穿った見方をしていたが、結局は物語に嵌まってしまい「やっぱりZはスゲェ!!」と感じてしまう1台であった。
眠たそうなリトラクタブルライトでもDINサイズのオーディオが付けられなくても、走りが良くてカッコよければいいのです。
昭和の男の子はスポーツカーが大好きなのだから!!
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