25台目は「い」

ニッサン インフィニティQ45

     (いんふぃにてぃきゅーよんご)

グレード・年式ベースグレード    1989年
エンジン型式V型8気筒DOHC
排気量4494cc
出力・トルク280ps  40.8kg-m
全長×全幅×全高5090×1825×1435
車重1770kg
新車価格520万円

説明

1989年(平成元年)、日産は北米の高級車市場の一角を狙いインフィニティディヴィジョンを立ち上げた。その際のフラグシップカーとして投入されたのがQ45である。

日本国内での登場は1989年(平成元年)11月。本来は「インフィニティ」がブランド名、「Q45」がモデル名であるが、日本では「日産・インフィニティQ45」として販売された。日産のCIではなくインフィニティエンブレムがつくものの、リヤガーニッシュ下部中央にNISSANの文字が目立たなく配された。(後期型は文字が若干目立つように変更された)

エクステリアデザインは社内によるもので当時デザイン部に所属していた山中俊治が担当した。キャッチフレーズは「ジャパン・オリジナル」。

「ジャパン・オリジナル」のキャッチフレーズの元、旧来の高級車像とは違う、独自の価値観を追い求めた点で評価が高かった。従来の一般的な高級車のようにメッキ仕上げの大型フロントグリルを備えることなく、グリルレスの薄いマスクに七宝のエンブレムのみを取り付けた。また、高級車では当然の装備とされる木目パネルを一切使用せず、和の象徴ともいえる漆塗り(金粉蒔絵)のインストルメント・パネル(KOKONインスト)をオプションで設定するという、世界の高級車の常識に挑戦するかのような斬新なコンセプトで発表された。ソフト面で日本文化を体現する一方で、その走りは北米市場の日産に対する期待を反映し、若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、こちらも異色であった。足回りは、前後ともマルチリンク式サスペンションで、901運動 の集成とも言える油圧式アクティブサスペンションを持つ仕様が日米ともラインナップされていた。輸出仕様のみであるが4輪操舵システムが設定された。エンジン出力は日本製自動車としてはじめて300馬力に達し、同時期に発表された日産・フェアレディZ(Z32型)・日産・スカイラインGT-R(BNR32型)とともに300馬力トリオとなる予定であった。しかしながら運輸省(当時)からの行政指導により、280馬力に自主規制された。

18金製のゴールドキー(価格52万円)がディーラーオプションで設定され、現物が銀座の日産本社ギャラリーで展示されていた。

北米仕様においては日本仕様に比べてよりパーソナルカー的な性格が強く、ベースグレードの「Q45」のほかに、リアスポイラーやBBSのホイールなどが装備され、日本仕様にはないスーパーHICASの設定があったツーリングモデルの「Q45t」、そして、アクティブサスペンションなどが装備された「Q45a」が設定された。また馬力が規制された日本国内向と異なり、フェアレディZとともに日本車としては初の300馬力車となった。

しかしながら、Q45の特徴でもあったグリルレスデザインは、大多数のユーザーやその予備軍には不評で、アフターマーケットで販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーもおり、エアロパーツのメーカーも自社のエアロに合わせた後付けのフロントグリルを開発していた。その後、1993年(平成5年)6月に行われたマイナーチェンジでは、七宝のエンブレムや漆インパネが廃止され、ローバー・800に似たフロントグリルと木目パネルが取り付けられることになり、デビュー時に提唱していたQ45独自の高級車観が最後まで貫かれることはなかった。

発表の翌年、このクルマ(G50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan、日本国内専用の意といわれている)が誕生している。こちらでは最初から大きなフロントグリルが装着されている。

日産はインフィニティブランドの日本再展開を検討したこともあったものの実現に至っていなかったが、2014年デビューの13代目スカイライン、及び2015年にビッグマイナーチェンジをした日産・フーガにおいて国内仕様ではインフィニティエンブレムをスカイラインは2019年のマイナーチェンジまで、フーガは2019年の一部改良まで採用していた。

思い出

1989年、ニッサンスカイラインGT-R、ユーノスロードスター、スバルレガシィなどバブル絶頂期に登場した名車達。その中で日本がベンツ、BMWに真向対決を挑むべく登場したのがニッサンインフィニティQ45とトヨタセルシオである。この2台を比較してしまうと売れ行きと知名度は圧倒的にセルシオに軍配が上がってしまい、後塵を拝していたのがインフィニティQ45であるが、正直名車といえるのは後者のほうである。

重厚感を前面に押し出したセルシオと比較して都会的な洗練されたデザインであったインフィニティはフロントグリルを無くすといった驚きの外装で登場する。グリルレスで冷却は大丈夫なのかと当時は思っていたが、それよりもカッコよさである。その思い切りの良さが私の心にグサリと刺さるものがあった。

エンジンだってセルシオが4000ccなのに対して4500ccである。フロントのエンブレムは七宝焼きである。内装パネルも漆で加工しているのある。セルシオでもベンツでもBMWでも出来なかったことをやっているのである。(はなからやろうとする気がなかったかもしれないが・・・)

走りについても当時のニッサンは足回り・エンジン共に世界のトップクラスのものを作っていた。300馬力を本当は出したかったエンジン、アクティブサスペンションで固めた足回り、そうなんですインフィニティQ45はサルーンでなくスポーツカーなのである。バブルの時期に時代が求めていたスポーツカーなのである。

私がバブル期の最高級スポーツカーを挙げろと言われたら間違いなくインフィニティQ45とユーノスコスモを挙げるであろう。4ドアと2ドアの違いはあるが、日本を代表するバブルが産んだスポーツカーはこの2台である。だからセルシオに負けるのが悔しいと感じるクルマなのである。

まあ、すぐに壊れそうなイメージも強いが・・・。