ニッサン ブルーバード
(ぶるーばーど)
グレード・年式 | ターボSSS-X 1983年 |
エンジン型式 | 直列4気筒SOHCターボ |
排気量 | 1809cc |
出力・トルク | 135ps 20.0kg-m |
全長×全幅×全高 | 4500×1690×1370 |
車重 | 1160kg |
新車価格 | データなし |
説明
ブルーバード初のエンジン横置きFF(前輪駆動)車。先代の910型の流れを汲んだデザインで、ボディタイプは、910型に設定されていた2ドアハードトップは廃止され、4ドアセダン、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、バンの4種類が設定され、前モデルの910型系と比較してトレッド幅を拡大し、コーナリングにおけるトルクステアなどのFFの弱点を消すことに重点がおかれる。ガソリンエンジンは、すべてCA型に統一され、ディーゼルエンジンは、ノンターボのLD20型 65馬力の1種類のみの設定。広告には、沢田研二が先代の910型に引続き起用されCMソングとナレーションも担当した。キャッチコピーは前期型は「ブルーバード、お前はスーパージェネレーション」「走りが、だん然、素晴らしい」「ブルーバードにならないか」、後期型は「人の中へ。」であった。1983年の日産創立50周年を機に一新された米国のペンタグラム社が製作したロゴフォントを採用。先代の910型系までの正式車名であった「ダットサン・ブルーバード」から、U11型へのモデルチェンジを機に、正式車名が「日産・ブルーバード」へと改められ、車検証の車名欄も、先代の910型までの「ダットサン」からU11型から「ニッサン」へと改められている。ADワゴン(ステーションワゴン)はターボSSSとLXの2グレードがあり、ターボSSSは当時珍しいガソリンターボのワゴン車であった。海外輸出については、これまでのダットサン160~200Uから正式に「日産ブルーバード」(NISSAN-BLUEBIRD中文:日産藍鳥または青鳥)となりメーターがドイツ・アウトバーン対応のMAX240km/h以外は日本国内仕様と同一である。一方オーストラリアでは、日本より遅れること2年後に生産が開始されたモデルである。前輪駆動生産のライン関係などに大幅な遅れをとった関係から910型が長らく生産された要因とされた。販売終了前月までの新車登録台数の累計は48万2896台。
思い出
中学生の時、我が家にはU11型ブルーバードがあった。
その頃にはすっかり「クルマバカ」に成り下がった私。「将来は絶対GX71マークⅡに乗る。」というイヤらしい考えを持ち、親父には「大学に入ったらマークⅡを俺に買ってくれ!!」と頼んで、その場しのぎのOKを貰いはしゃぎまくっていた少年時代(もちろん大学に進んでも買ってもらうところか免許も取らせてもらえなかったが・・・)。
中学生ともなればクルマのメカニズムにも興味を持ち、自ら率先してメンテナンスをやっていた。春秋のタイヤ交換、オイル交換など中学生ながら本屋で「オートメカニック」を立ち読みしてああでもない、こおでもないとやっていたものだ。内張り剥がしてスピーカを外したり付けたり、バッテリー交換してみたり中学生ではできないようなことも経験していた。
さて、いよいよエンジンに手をかけていこうとしていた頃、ふと思うところがあった。
「まずはプラグ交換からいってみるか!!ん?予習したエンジンの形と違う?」「まぁ、クルマによって形は違うからな。先ずはエンジンかけてみて音がどんなもんか試してみよう!!」かけた瞬間ブルーバードからは「ガラガラ」といったアイドリングが・・・。
そうなんでした。我が家のブルーバードはディーゼルなのでした。確かにグリルにSSSの文字がなく色も地味な白のセダン。スポーツセダンでなく単なるファミリーカーでした。それを思い出した瞬間、ボンネットは閉めてしまいました。
まぁ、いくらブルーバードとはいえディーゼルエンジン、加速は良くても上がね、詰まってしまう感じがしたエンジンでした。室内はFFになったこともあり広いものでしたが、如何せん下位グレード。お安い感じの内装でした。
クルマのメカニズムについて本格的に学んだのはブルーバード。当時の経験は今でも多少のトラブルには焦らない耐性を身に着けることが出来たクルマでもあります。