55台目は「て」

マツダ デミオ

    (でみお)

グレード・年式GL-X    1996年
エンジン型式直列4気筒SOHC
排気量1498cc
出力・トルク100ps  13.0kg-m
全長×全幅×全高3800×1670×1535
車重990kg
新車価格154万4000円

説明

当時のミニバンブームへ追随する形で既存のコンポーネントを活用し、短期間で開発・市場投入された。全長をコンパクトカーの範疇に留めながら、2列座席で荷室を広く採ったシンプルな小型ワゴンである。ミニバンブームの渦中で、機械式駐車場(全高1,550mmまで)に入れない高さのモデルが続出して実用上問題になっていたことから、車高は機械式駐車場に入るぎりぎりに設定された。シートはフルフラット化が可能で、荷室拡大時には同車のクラスを超えた収容力があり、コンパクトカーの中でもスペースと実用性の確保を最大限追求することが設計の主軸となっている。

構造・スタイルとも機能的な「道具」に徹した、一種素っ気ないくらいの実直さがバブル崩壊後の世相にマッチし、直接競合するクラスの大衆車に限らず上級車や軽自動車からもユーザーが移行するなど、市場における幅広い層の支持を得た。自動車ジャーナリストにも好意的に受け止められ、日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞、およびRJCカー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。マツダはこの初代デミオのヒットによって経営危機を辛くも脱し、デミオは「マツダの救世主」「(1990年代における)マツダのカンフル剤」「神風」とも評された。

短期間、低コストで開発されたため、ベースにはフォード・フェスティバ、およびオートザム・レビューのプラットフォームの系統である既存形のマツダ・DWプラットフォームを使用した。なお当初はレビューの後継車種として企画開発されていた。原設計は前身のDBプラットフォームのため極めて古いものであったものの、操縦安定性は念入りにチューニングとテストが繰り返されており、結果としてレスポンスの良いハンドリングを実現している。エンジンはレビューおよび2代目フォード・フェスティバ同様、1,300ccSOHC16バルブエンジンと1,500ccSOHC16バルブエンジンを搭載する。ただし、燃料供給は電子制御キャブレターから、EGI(電子制御燃料噴射装置)へ改良されており、1,300ccはネット83馬力、1,500ccはネット100馬力に向上していた。駆動方式は前輪駆動(FF)のみで、トランスミッションは、5速MTと、1.5L車に電子制御式4速AT、1.3L車は当初3速ATの設定で、これらもフェスティバ、レビューと同様である。1.5L車は「GL」から始まる2グレード、1.3L車は「L」から始まる4グレードで発表され、全てのグレードでMTとATが選べた(計12車種)。

当初、バックドアにはキーシリンダーやアウタードアハンドルがなく、開けるためには運転席脇のレバーを操作するしかなかった。これは、販売価格を抑えるため大半のグレードに集中ドアロックが設定されなかったことから、多くの他車種と同様、バックドアのロック忘れを防ぐためにこのような設計となっていた。のちにキーシリンダー付きの押しボタン式オープナーが装備され、車外からバックドアを開けられる変更となり、運転席脇のレバーは廃止された。

車体形状は「自由形ワゴン」と称する「小型ステーションワゴン」で、販売当初は「新ジャンルワゴン」としていた。「小さく見えて、大きく乗れる デミオ」や、「SMALL & BIG」のキャッチコピーも付けられていた。また、自動車検査証に記載される車体形状は「ステーションワゴン」となっている(後述の2代目についても同様)。通常、マーチ等のコンパクトなハッチバック車の登録は「箱型」であり、このことからも、荷室の収容力を強く意識したモデルであることがわかる。

旧オートラマを含むフォード店向けには「フェスティバ・ミニワゴン」(略称フェスティバMW)の名称でOEM供給された。

思い出

何度かマツダというメーカーは経営危機を訪れた時があった。その度に一代ヒット作を作り上げて立ち直ってしまう不思議なメーカーである。そういう何か「不器用」なところが私は好きなんですが…。

デミオはそんな経営危機であったマツダを立て直したクルマの1台である。暗黒の90年代初期、5チャンネル制を構築しようとしたところのバブル崩壊。開発途中のクルマも開発中止となり、発売してみたクルマも時代に合わず販売はどん底、終いには社長がフォードからやってきて経営立て直しという名のリストラが始まる。

メーカーとしてほぼ死に体となっていたマツダが発売したコンパクトカーがデミオ。至ってシンプルなコンパクトハッチバック。目新しい技術を持ったわけではない実にシンプルなクルマがまさかまさかの大ヒット!!マツダの経営危機を見事に回避できる起爆剤となったクルマでした。

そんな私とデミオの出会いは、私の会社の同期の奥さんが乗っていたクルマ。当時はまだ結婚前だったため彼女さんが正確ですが、その方が運転されてました。当時からマツダフリークであった私は、デミオを選んだことに喜んだものですが、至って普通のクルマ。「さて、どこに良いところがあるのだろう?」と思っていたので、一度乗せていただきました。

走り出しは普通の加速感、コーナーも特にスポーティーに曲がるものでもありません。それより感心したのはパッケージング。大柄な私が乗っても狭く感じることがないのです。人がそれなりに乗っても荷物もしっかり載る。見事なパッケージングが作り上げられたクルマでした。しかも価格も手ごろ。そこに売れる素地はあったということでしょう。

その後も街の中ではデミオが目立ち、すっかりマツダのベーシックカーとなり、「かつてのベーシックと言えばファミリアだったのにな…」と思ってしまう始末。あれから20年以上経ってもマツダのベーシックとなっています。(今はデミオという名前ではなくなりましたけどね)

デミオは起死回生の逆転ホームランとして永遠に語り継がれるクルマの1台となるでしょう。


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