ダイハツ コンソルテ
(こんそるて)
グレード・年式 | 2ドアデラックス 1971年 |
エンジン型式 | 直列4気筒OHV |
排気量 | 958cc |
出力・トルク | 58ps 8.0kg-m |
全長×全幅×全高 | 3645×1450×1380 |
車重 | 655kg |
新車価格 | データなし |
説明
ダイハツ工業は1967年11月にトヨタ自動車と業務提携を交わし、日野自動車とともにトヨタグループとなった第一作品として登場。パブリカと共通のボディだが、エンジンはダイハツ製のFE型1000ccに換装されていた(後にトヨタ製の1200ccを追加)。フロントグリルとリアエンドは独自のデザインだった。ただし、パブリカに設定していたツインキャブ搭載モデルやバン/ピックアップといった商用車などは設定されなかった。車名の由来は“伴侶、提携”のイタリア語で、ダイハツとトヨタ、およびユーザーとの関係を意味している。
1969年4月 新発売。当初はコンソルテベルリーナと称し、デラックスとスタンダードの2種の展開。型式名EP30。サスペンションは前輪ストラット/コイルで後輪はリジッド/リーフ。
1970年9月 マイナーチェンジでインパネのデザインを変更し、スピードメーターが扇型から丸型に変更。3分割グリルを採用。フロントディスクブレーキを装備したスーパーデラックスを追加し、ミッションも1~3速をクロスレシオに改良した。
1971年6月 トヨタ製3K型エンジンを搭載したスポーティモデル、1200Sを追加。最高出力68PS/6000rpm、最大トルク9.5kgm/3800rpmで最高速度150km/hとなった。
1972年1月 大規模なマイナーチェンジを実施。ベルリーナの呼称が外れる。1200Sは1200GSに名称変更、1000PSを追加。全長を50mm延長し、2代目パブリカ同様にリアデッキの造形をトランクリッドの付いた3ボックススタイルのまま、ノッチバック型の意匠からファストバック型の意匠に改められた。このモデルでは2代目パブリカとの部品共用は約75%となった。
1973年5月 パブリカ・スターレットのOEMであるクーペ追加。型式名EP40。グレード展開は68馬力の1200ccモデル(トヨタ製3K型エンジン使用)がGHLとGL。58馬力の1000ccモデル(ダイハツ製FE型エンジン使用)はHLとTL。パブリカ・スターレットのフリーチョイスシステムは採用されなかった。GHLはレザートップを標準装備。CMキャラクターはケーシー高峰。
1973年10月 スターレット4ドアセダン追加と同時にコンパーノ・ベルリーナ以来の4ドアを追加。グレード展開は1200がハイカスタムとカスタムの2種、1000はスーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3種。同時に2ドアセダンがマイナーチェンジ、1000PSがカタログ落ちする。
1974年11月 シャルマンの発売に伴い、4ドアが廃止。コンソルテ4ドアの販売期間は1年間のみであった。
1975年12月 1000ccモデルが50年排出ガス規制適合。この時点で国産1000cc乗用車はコンソルテが唯一(当時)となった。
1976年2月 1200ccモデルが51年排出ガス規制適合。エンジンが3K型から3K-U型(OHV)となる。
1977年2月 マイナーチェンジ。1000ccモデルが廃止される(理由は51年排出ガス規制をクリアする事が出来なかった為)1200ccへ変更となった。
1977年11月 販売終了。その後継車として新開発の1000cc・直列3気筒SOHCガソリンエンジン(CB型)を搭載した(リッターカーの)初代シャレードが発売される。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は15万8768台。
思い出
このクルマを覚えているのは、かなりの年齢を重ねた方かもしれませんが、私にとって初めてモータースポーツに接する機会となったクルマであります。
私が子供のころ(幼稚園とか小学生少学年のころ)は、今やドリフトのメッカである福島県二本松市のエビスサーキットはダートトラックのコースとモトクロスのコースしかないある意味「自然豊か」、ある意味「山の中」の場所でした。クルマ関係の商売をやっていたわが家には自然とクルマ好きが集まっており、ダートトライアルをやるお兄さんたちも集まっていました。確か幼稚園の時だったと思います。店に来ていたお兄ちゃんが「そんなにクルマ好きなら一緒に行くか?」と誘われ、二つ返事で出かけたものです。そのときのお兄ちゃんがダートで乗っていたのがコンソルテでした。
助手席(とはいってもバケットシート)に乗せられて(4点式シートベルトは子供に合わず、ベルトしなかったような…)、ゴツゴツの乗り心地。当然オーディオなんてない空っぽの車内。聞こえる音は取り替えたマフラーからの排気音だけ。興奮しまくりでエビスサーキットへ向かったものでした。
初めて見たダートトライアル、モータースポーツは幼心に感動を覚えたものでした。見ているスグそばをダートで車体を滑らせながら走るクルマ。上手く走るクルマもあれば、失敗して横転するクルマ、スピードとテクニックが交錯する世界でした。連れてくれたお兄ちゃんは無事完走したので帰りもその車に乗って帰りましたが、行きとは違ってダートを走った後の泥臭さが車内に残っており、より興奮したものです。帰ってその日はあまり寝た記憶がないくらいの興奮具合いでした。
そんなコンソルテ。兄弟車であったパブリカとは一部仕様が違っていてツインキャブになっていませんでした。それでも子供からしたら速いクルマに感じていました。でも今回改めてスペックを見ると今の軽自動車程度のエンジンパワーだったのですね。車重が軽いこともあって速いこともあったのでしょう。子供の私にも思い出深いクルマでありました。
そんな影響もあり、私はモータースポーツはフォーミュラーレースよりツーリングカーレースのほうが好きです。
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